2002年に映画『戦場のピアニスト』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールとアカデミー賞監督賞を受賞したロマン・ポランスキー監督の人生が映画化される計画があるそうです。
ロマン・ポランスキー監督のスキャンダラスな人生が映画化! : 映画ニュース - 映画のことならeiga.com
まるで小説とか映画みたいな人生という人は何人かいますが(スティーブ・ジョブスとか)この人の人生はかなりヘヴィーです。
僕はもともとジョニー・デップのファンだったのでデップ主演でポランスキー監督が手がけた『ナインスゲート』を見て、やたらマニアックで作家性の強い作風に興味を覚えました。
まだWikipediaとか今みたいに充実してなかった頃ですが、ポランスキー監督についていろいろとネットで調べましてジェットコースターのような無茶苦茶な人生に驚きました。
その二年後くらいしてアカデミー賞を取った時は、またまたびっくり。
ニュースソースの記事にも少し書いてありますが、この人のジェットコースター人生をまとめてみます。
ロマン・ポランスキー監督の激動の人生
1933年、ポーランド系ユダヤ人の子としてフランス・パリに生まれます。
母がアウシュビッツでホロコーストの犠牲となるもナチスの手を逃れヨーロッパ各地を転々とします。
この頃の体験が彼の作品の孤独感、不安定感を孕む独特の作風に大きな影響を与えるとともに、ホロコーストを描いた『戦場のピアニスト』のベースとなってると思われます。
1950年代にポーランドで俳優として活動後にフランスへ活動の拠点を移し1962年、『水の中のナイフ』で監督デビュー。
ブルジョア的なスタイルが社会主義国であったポーランドや東欧世界で敵視されたが、斬新な作風が西側世界で絶賛されたため、これ以後1960年代から70年代にかけてイギリスやアメリカなど西側世界で活躍するようになります。
1967年、イギリスで制作し自身も出演した『吸血鬼』の主演女優シャロン・テートと結婚しヒューストンに邸宅を構えます。
1968年、アメリカで制作した傑作『ローズマリーの赤ちゃん』が大ヒット、この影響を受けた作品が多数制作されオカルト映画ブームが起こる事に。
1969年、監督としての成功に加え愛妻シャロンが身ごもり順風満帆に思われた人生が突如暗転する大事件が発生します。
後にアメリカポップカルチャーの悪のカリスマとなるチャールズ・マンソンの率いるカルト教団(マンソンファミリー)が実行した残忍な殺人計画によって身ごもった愛妻シャロン・テートが26歳の若さで犠牲になってしまいます。
ビーチボーイズのデニス・ウィルソンを始めとするミュージシャン達と親交があり、フリーセックスとドラッグとロックミュージックでヒッピーが流行する若者達の間に多くの信奉者を生みだし、ビートルズの歌詞からインスピレーションを受けたへルタースケルター(白人と黒人による人種間最終戦争)の概念とマンソンファミリーが統治する時代の到来を説き信者達と閉鎖された砂漠の共同体で軍事訓練をしながらサバイバル生活をするマンソンは、洗練された手法で若者文化を巧みに取り入れた新型のカルト宗教指導者でした。
惨劇の舞台となったのは50~60年代のアメリカで歌手・女優として大人気だったドリス・ディの邸宅で、音楽プロデューサーをしていたドリスの息子テリー・メルチャーがマンソンの音楽を認めなかったというのが襲撃の理由となりました。
たまたま邸宅にいたテートを含む5名がナイフで惨殺され、壁にはテートの血で『PIG』(豚)と書き残されていました。
犯行の残忍さに加え、事件の舞台が大女優ドリス・ディの持ち家であったこと、殺害されたのが結婚間もない美人女優のシャロン・テートであったこと、前年に『ローズマリーの赤ちゃん』が大ヒットした時代の寵児ポランスキー監督がその夫であったこと、テートのかつての婚約者も共に殺害されていた事など、ハリウッドを揺るがすスキャンダラスな大事件となりました。
さらに事件の解明が進んでチャールズ・マンソン及びマンソン・ファミリーの全容が明らかになってくると激震は西海岸の音楽界にも飛び火してその衝撃はさらに大きくなります。
この事件の他にも数件の惨殺事件をマンソンファミリーが起こしていることが明らかとなり、マンソンはアメリカの悪のカリスマとなり、多くのマンソン支持団体が後に出来ています。
他にもマンソンが発売したレコードが多くのミュージシャンによってリメイクやサンプリングされたり、有名なロックバンド名でボーカリストの名でもある『マリリン・マンソン』は美の象徴『マリリン・モンロー』と悪の象徴『チャールズ・マンソン』の名を掛け合わせて名付けられたなど、後のポップカルチャーに多大な影響を及ぼしました。
その残忍な犯行からチャールズ・マンソンの死刑は当然でしたが、裁判引き延ばし戦術が功を奏したか執行前にカリフォルニア州では死刑が廃止となり現在も彼は終身刑で獄中にいます。
その後、愛妻を失った失意のポランスキーは70年代に傑作を連発。
事件の影響を受けてか人間の影をえぐる独特でカルトな作風はさらに深みを増していきます。
しかし立ち直ったポランスキーを再び大スキャンダルが襲うことに。
1977年、監督としての立場を利用して当時13歳の児童モデルをレイプしたとして6つの容疑で逮捕。
この事件の舞台となったのがジャック・ニコルソンの邸宅でした。
事実関係を認めたため司法取引で法定強姦罪(未成年レイプ)以外の適用は見送られる事になりましたが、判決を待つ保釈中に映画の撮影と称して出国しなんとそのままフランスに逃亡してしまいます。
このため裁判はストップし逮捕状が出されましたが、もし帰国して有罪判決を受ければ量刑は禁固50年が出る可能性があるとされます。
この件に関しては当事者である被害者の少女が、三者間で合意されていた司法取引に関する約束を判決直前になって判事が破棄し司法取引の受け入れを拒否したため6罪状禁固50年をフルに言い渡される事を怖れて、やむにやまれず逃亡せざるを得なくなったとして、判事を非難しています。(zakzakの記事)
その後ヨーロッパで活動を再開しますが逃亡直後に呼び寄せた恋人のナスターシャ・キンスキーも15歳でした。
二年後の79年にはナスターシャを主役に『テス』を制作しています。
ポランスキー監督は基本的にロリコンなんでしょうか。
アメリカを脱出した80年代以降の監督作は凡作続きとされます。
しかし、全盛期の過ぎた過去の人というイメージで語られるようになっていた2002年にポランスキーは突然の脚光を浴びます。
ホロコーストの時代にユダヤ人として生まれた自身の幼少期の経験を投影した『戦場のピアニスト』がアカデミー賞監督賞にノミネートされることになったのです。
アカデミー賞授賞式はアメリカで開かれており、担当検事が帰国すれば逮捕すると発表したため、逮捕状の出ているポランスキーは晴れの舞台に上がることはありませんでした。
主役が不在の舞台で長年の映画界への貢献を認められ69歳にして映画人としての最高の栄誉を受ける事になったわけです。
69歳での受賞は史上最高齢受賞記録となりました。
(二年後に74歳のクリント・イーストウッドが『ミリオンダラーベイビー』で更新)
これがまさに天国と地獄、どん底から栄光の頂点へというポランスキー監督のジェットコースター人生です。
映画にするとしたら結構な尺が必要と思いますが原作(!)はバツグンによく出来てるのでうまい監督がやればかなりおもしろくなりそうです。
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